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神奈川県横浜市に住んでいた子供の頃
私には、学校で仲の良かった憲治くんという友達がいました。
横浜市の中里町とい高台の住宅に住んでいたいた私はいつも、弘明寺近くの保育園に通っていた。
憲治くんの家族は飯場の中にできた仮設住宅に住んでいました。
小太りの肝っ玉お母さんと、無口で外見は怖そうなお父さんは年の離れた夫婦でした。
ダム建設などの仕事などで各地を転々としているようです。
同じクラスだったのですが、学校以外では遊んだことはありません。
憲治くんとは保育園から小学校3年まで、ずっと同じクラスだったのですが、二人ともが転校することになりました。
市内50キロくらいの場所なので、電車やバスを乗り換えれば遊びに行ける距離です。
お互い夏と正月にはハガキなどを送りあう中になり、夏休みにはお互いの家に4,5日づつ泊まりあうのが恒例になります。
丹沢中津川の中津渓谷
小学校4年の夏休み、憲治くんに家族に誘われて、神奈川県の丹沢の中津渓谷にキャンプに行くことになります。
現在宮ケ瀬ダムになった場所で、中津渓谷の石小屋という場所にあったキャンプ場です。
はじめて人の家に泊まるので非常に緊張します。
南区の芹が谷山谷というところに、憲治が引っ越した家があります。
現在は横浜横須賀道路が近くを通っています。
鶴見川支流早淵川の近くに住んでいた私の家から、バスで綱島駅に出て東急東横線に乗り、横浜駅で京浜急行線に乗り変えて上大岡駅でバスに乗り、そこまで母に連れて行ってもらったと思います。
3階建ての3階に住んでおられて2DKの賃貸住宅ですが、鉄骨の階段が隙間がありそこから下が丸見えでかなり怖いのです。
高い所が苦手なのは今も変わりません。
憲治くん一家もその中津渓谷に行くのは時はじめてのようです。
深夜2時頃出発します。
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車の中で○○出来ない‥
車には憲治くの両親と後席には私と憲治君、憲治君のお姉さんとその友人の女の子が座り、かなりぎゅーぎゅー詰めです。
緊張するし、人の家でトイレ(大きい方)に行くのは苦手でした。
途中、おならを我慢したらお腹が張ってたまりません。
車の中でぶーっとやる勇気はありません。
我慢するたびにお腹がキューッとすごい音を立てて笑われます。
「腹空いてるんじゃないか、何か食わせてやれっ」
て憲治くんのお父さんに言われてお母さんからバナナを1本もらい食べさせられましたが、逆効果です。
道中とても長く感じましたが、今思えば2時間もかかっていないと思います。
横浜市南区から丹沢なんてそれほど遠くではありません。
ただ当時交通事情が悪いで、林道などは未舗装でした。
地図を頼りに行きました。
石小屋のキャンプ場の目の前は綺麗な中津渓谷です。
すぐ近くにはとても大きな滝があり豪快です。
ドーム型のテント3個にそれぞれ2人づつ寝た記憶があります。
かなり流れが早い本流れの内側が大きな岩で囲われた渕があって、そこで泳ぎます。
憲治くんのお父さんは釣りが趣味です。
家には川釣りのヤマベ(オイカワ)釣り大会などで優勝したトルフィーなどが沢山飾ってあったので、かなり本格的に釣りをしていたのでしょう。
グラスの長い竿を持っていて中津川で釣りをしています。
釣れた魚は今思い起こすとハヤ(ウグイ)だったようです。
30センチくらいのウグイを焚火で焼いて食べさせてもらいました。
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初めてのキャンプで…
その夜の事です、便意をもよおしたのでキャンプ場のトイレに行ってうんこをしたのですが、紙がないことに気が付きます。
大変だ、どうしょう、今ならタイ人とかがやるように、そののままフリチンで川に行ってお尻を洗えばすむことですが、そんな事が思いつきませんし、出来ません。
しょうがないので自分のパンツで拭きましたが、パンツが汚れてしまいました。
変えの下着は持ってきていないのです。
「おばさん、ぼく、うんこもらしちゃった」
と憲治くんのお母さんにそっと言うと、パンツを川でごしごしと洗濯し始めました。翌日は早戸川に行きます。国際管理釣り場だった思います。
鳥屋(とや)という土地で人に道を聞いたのをよく覚えています。
早戸川に入る集落です。
憲治君のお父さんだけが釣り行き、私たちは早戸川で川遊びをしていました。
釣りにはまったく興味はない頃でしたが、たくさんのニジマスを焚火で焼いて食べた記憶があります。
私はひと様の家に泊まると緊張して胃腸の調子が悪くなるので
それから憲治くんの家に泊まりたびに正露丸をいつも飲まされる事になります。
大人になって社会人になっても緊張する場面やストレスがかかるとすぐ胃腸にくるので、私は結構神経質な方なのでしょう。
家に帰るのに憲治君の中学性になったばかりのお姉さんだけが、親のいいつけではありますが、私の住む最寄り駅まで送ってくれて、私がバスに乗って発車するまで見守っていただきました。
中学生になる頃から疎遠になり、お互いに家を泊まりあう事はなくなります。
私の家は市内に2回目の引っ越しをし、相手も引っ越しをしたのでしょうか、連絡が途絶え、何処に行ったのかも分からなくなりました。
その中津渓谷でのキャンプのことや憲治君一家の事が、何度も何度も夢に出てくるようになります。
青年になって、社会人になって、おっさんになった今も毎週のように夢に出てくるのです。
もう家族もいて子供も大きくなっているでしょうね…。
この夢、一生見るのかな…。
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始めまして。
自分は今ではあるのでしょうか?
子供会で2度、中津渓谷でキャンプしました。マイクロバスが谷底に落ちるのではないか?とヒヤヒヤしながら乗って行った記憶があります。
中津渓谷は水が綺麗で猛烈に冷たかったですね。
懐かしい楽しかった思い出です。
こんにちは。
今は宮ケ瀬ダムの底になってしまいましたね。半原から少しは多少面影があります。
昔、自転車でも中津渓谷を宮ケ瀬から半原まで谷沿いの崖の細い道を走ったこともあります。
コメントありがとうございます。