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それ、もしかして空手?
ああ嫌な言葉ですね。
いいえ空手ダンスですよ、いいえ健康空手ですよって、堂々と今なら答えちゃうんですけど。
かの有名な空手漫画、空手バカ一代のケンカ十段と異名をとった故芦原英幸氏の若かりしころの言葉ですね。
通信教育で空手
強くなりたい、男ならだれでもそう思ったものです。
でもね漫画で有名になった極真空手の池袋本部道場も入門者でいっぱい。それに入門するには怖いし、危険と判断。
毎回漫画連載のページ下にキミも大山空手を学べる、と大きな広告。
初心者コースに入門しましたが友人のG太郎クンはいきなり茶帯コースに入門しました。
それを見ながら家の中でセイヤ、セイヤと空手の基本練習を繰り返す毎日です。
梶原一騎とユセフトルコ
道着のズボンのスソが短いのが気に食わないので、もうちょっと長い道着の下だけを買いに行きます。
渋谷警察署横にあるノッポのビル、平善ビルの中にマス大山空手スクールの事務所がありました。
「おーい大田ぁー!!あー?○☓○☓やったのか~!ああ?」
すごいドスの聞いた声が事務所内に響き渡りまして、声の主はあの梶原一騎氏でしたね。
梶原一騎に怒鳴られる のは編集部の大田さんでした。
窓際で梶原一騎とユセフトルコが会談しています。
ちょうどアントニオ猪木と熊殺しと異名をとったウイリー・ウイリアムスが異種格闘技戦を行う直前でした。
「うーんきみは足が短いから○号の空手着でいいんじゃないか?」
と年配の男性事務員に言われた私でした。
江上空手の出会い
空手の通信教育を半年ほど繰り返し、近く他流派空手道場があり入門しました。
俺は極真空手をやっているからその辺の空手道場なんてわけないね、なんてたかをくくっていました。
現在は江上空手と言われる芝浦に本部があった松濤会の空手でした。
故江上茂氏が師範をしており、私は江上茂氏の内弟子だったI師範の道場で稽古しました。
「君、前になにかやっていたのか?」
I師範に突き方を習っているときにそう言われました。
半年の巻き藁突きで、右の拳の関節が大きく出ていたので経験者と思われたようです。
瓦やブロック割りはまた違うものだからうちではやらないよ…みたいな事を初めに言われたのを思い出します。
基本と型の稽古に重点をおいている道場で、重心をかなり低く落として腰で練るように、伸び伸びと突きや蹴りを出す稽古が毎日のようになりました。
故古尾谷雅人初段
数年前に高校生だった古尾谷雅人さんもこの道場に通っていて、長身から繰り出す伸びのある前蹴りが得意だったそうだ。その後俳優の道へ。
「スローなブギにしてくれ」が上映されていまして道場の先輩と見に行きました。
ああ全然アクションでないね~なんて言っていました。
主演した古尾谷雅人の空手アクションが少しでも見たかったのです。
江上先生の教え
大きく伸び伸びと技を使え。究極の術とは相手と友達になれ。故江上茂師範はそう教えていました。
はぁ?喧嘩や死闘になったら相手と友達になれって事か?そんなの無理じゃない、だって相手は殺しにくるんでしょ、って思いましたが、この道場に通っているときはものの考えというか精神というか、とかく短期な性格の私も本当に穏やかな感じに変わっていました。
見様見真似で空手をやっているときは、通るところに物があると片っ端から壊して歩いていましたからね。それも割れやすいものばかりを。
一度は知り合いの車のサイドミラーを牛の角を折る真似で手刀で折ってしまいました。
いやはや恥ずかし想い出です。
そのようなバカな真似は松濤会の道場に通うようになってからはしなくなりましたね。
黒帯3段に試合を申しこむ
道場に入門して半年、自主トレーニングもいれれば1年でしょうか。空手6級のころ自分のサンドバックを担いで電車に乗り、道場に持ち込みます。
6時半から9時までが稽古時間だったのですが。稽古が終わっても物足りないのでサンドバックで練習していました。
I師範はすぐ裏の自宅に帰っていていません。
黒帯のHさんとKさん私の3人だけが残っていました。
○○いい蹴りしてるな~っとHさんに褒められていい気になった私は気が大きくなり、いきなり自由組手お願いします、とHさんに声をかけたのです。
ニヤっと笑ったHさんはだまって眼鏡をはずしました。
近眼みたいで普段は眼鏡をかけてましたからね。
それで顔面はありにする?っとHさん。
ゾッとしたので顔面はなしで私。
組手が始まり、あの手この手とあらゆる技を繰り出しましたが全部よけられます。
こんなはずでは?です。
じっと様子を伺っていたHさんですが、突然前蹴りを放ってきましてそれが私のみぞおちにもろに決まりました。
息を吸うところにもろに入ったので息が出来ず、地獄の苦しみで道場内をのたうち回りました。
活を入れてもらい、なんとか呼吸できるようになりましたが、戦意喪失でそれから何をやったのか覚えていません。
自分のサンドバック持って帰れ。道場にあるのを使えって言われました。
あとで知りましたがこのHさんは空手は3段でボクシングの経験もあり、対他流派用にいろいろ研究していて松濤会の中でも異端児みたいな方でした。
それを寡黙な2段のKさんがだまって見ていました。
Kさんはその後スペインに渡り、現在は空手を教えています。
そのような事があり、舐めてかかっていた私は有段者になるまではこの道場にお世話になりました。
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