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ミッドウェイでファイヤーウォッチャー(火の粉の番)
1986年、米国航空母艦のミッドウェイの大改修工事、で半年間、横須賀の米軍基地にドック入り。そこでファイヤーウォッチャーなる火の粉番のアルバイトがあるのを求人広告で見つけたのです。
日給8000円。朝8時半から5時半まで。横須賀汐入の米軍基地内での仕事です。
下請けの会社は横浜線の鴨居というところにありました。ただし基地内に入るIDカード作成のために2回面接あり、100人近くは募集してたようです。
また健康診断もありで指定の浦賀病院までいきましたね。
1次募集に寝坊して行けず、2次募集で参加します。
京浜急行の支線で終点の浦賀駅に待ち合せ、30人ほどのアルバイト員が健康診断を受けますが、50代60代の持病がある人もいたので仕事をするにあたり、いろいろはじかれていました。
私は20代前半で若かったのでパス。
写真撮影をしてIDカードを作ってもらい、講義が1日ありました。溶接や消防の事がほとんどでした。
工事は船体の底を外から溶接強化します。その内側で火の粉が散って火災を起こさないように監視する仕事です。
ミッドウェイ航空母艦は巨大であり、その底の部分まで行くのにもいくつもの部屋を通り抜けてたどり着きます。まるで迷路です。
また万が一にも火災となれば火を消さなくていけませんから、一人あたり30キロにもなる消火器を担がされています。
高齢のアルバイトの方はかなり負担になります。だから初めの研修で脱落します。
甲板に戦闘機
戦闘機が見たいと上に向かって船内を上がって行くと、大きな体の黒人米兵に止められました。
ノーここから先は入れません!と言ってました。甲板戦闘機が見たかったのに。
この仕事のつらいところは煙と臭いです。溶接しているので煙が目にしみますし、臭いも強烈です。
ゴーグルとマスクをしていても異臭と息苦しさが結構ありました。昼は会社から弁当がでましたが、ずっと溶接の時にでる臭いが鼻について、初めのうちは食べた気がしませんでした。
基地の中の売店で、日本円が使えましておつりは米ドル。そのコインが使える販売機でチョコやコーラを買っていました。
基地内のホットドックは味がなくてとても不味かったです。
バードウォッチャー鳥の声をとれ
16歳の時に自転車旅行で北海道に行っていた時にやりました。
ユースホステルで一緒に泊まっていた会社員の人から誘われて早朝4時から6時までの2時間だけのアルバイトです。
苫小牧、ウトナイ湖にいる野鳥の観察でハンドマイクで野鳥の声を録音する仕事です。テレビの番組で使うそうで音声を録音する人が足らなかったようなので、声をかけていただきました。
早朝、パラボラの集音器に付けたマイクを野鳥に向けて録音するんですが、後で再生したら全然録音されてませんでした。あーやっちゃった~。でもアルバイト料の2000円はいただきました。
自動車の試作加工品削り
H社の試作品の部品をプラスチックのパーツを専用の機械で削っていく仕事です。
社長いれて5人ほどでやっていました。この仕事は月給で12万だったかな。
午後3時から休憩が30分もあり、住んでたアパートからもバスで20分と近くてよかったんですけど。
「プラモデル作りが好きな人には向いているよ」
とそこの社長が面接で言っていましたが
私はプラモデル作りは苦手です。
田宮のミリタリー、小さいプラモデルを組み立てて戦争ごっこをしていた程度です。
大きな戦艦や、戦車などのプラモデルを親戚などにいただいても、最後まで完成させた記憶はありません。
だからと言っては何ですが仕事が退屈で3ケ月ほどで飽きてしまい辞めてしまいました。
当時は日刊アルバイトニュースやフロムAによくお世話になってました。
あ~いい仕事ないかな?と最後に履歴書をペリペリっと切り取って…。枕代わりに高く積もっていった求人雑誌です。
○○君に就職難ってないねっ、なんてよく友人に言われていましたね。